麻布十番 たぬき煎餅
個人情報保護方針サイトマップ 
店主の独り言
たぬき煎餅トップへ
商品のご紹介
当店のこだわり
店舗のご紹介
催事情報
店主の独り言
会社案内
お問い合せ

麻布十番商店街振興組合
たぬき煎餅 販売店 日本橋高島屋/地下1階食品売場 渋谷東急東横店/東横のれん街
第1回「見よう手まね」の修業時代
手焼き風景  私が生まれて一年後にこの世を去った圓蔵は祖父であり、私ども「たぬき煎餅」の創業者でしたが、私には鮮明な記憶がありません。そして、祖父亡きあと、祖母に育てられた私でしたが、それは忙しすぎた両親が子どもの面倒を見ることが出来なかったからでした。
 祖母から、「治樹は『たぬき煎餅』の三代目ですからね!」と言われ続けて、「三代目」であることの自覚を、小さい頃から刷り込まれるように育てられてきました。
だからといって、そのような自分の運命を素直に受け入れてきたわけではありませんが、大学在学中にはすでに家業を継ぐ意思を固めていました。そして、私は卒業後、「三年という期限付きの就職」を快く受け入れていただいた「花園万頭」さんで、職人の意地≠叩き込まれた。「三代目」という配慮もあり、短い就職期間ではありましたが、製造から販売に至るまで、いろいろな経験をさせてもらうことができたのです。その頃の教えがいま活きています。

私が「たぬき煎餅」に入ったのは、大学を卒業して三年後のことでした。職人として当主として、父と一対一の関係が始まりました。父の側で仕事はするものの、父は何も話しません。何の説明もなく、ただひたすら生地をつくり、焼く。その繰り返しでした。

 しかし、私が手順を間違えるとブツブツと小言が出ます。ブツブツ言うくらいなら教えてくれても良さそうなものだが、何も教えてくれませんでした。これが父の教えでした。技というものは言葉で説明するものでなく、体で覚えるものであるということを、徹底して学ばされたのでした。五〜六年くらいは、このような感じでした。
手焼き風景 そして、気がつくと、自他共に認める煎餅屋になっていたという感じでしょうか。父は小言を言わなくなっていました。そして、いま、昔の父と母のように、私が妻と店頭で煎餅を焼いています。妻とふたり、テスト焼きした後、「焼くまでには、あと…十五分くらいかかるな」などと話し合って、煎餅を焼いているのです。

このページの上へ